折れちまったよう!!
山スキー中に転倒、右足脛骨・腓骨を粉砕骨折、自力下山できず、なんと「つるぎ」で病院直送、皆なに大迷惑をかけてしまった。骨折してはじめて、骨折とはこんなにも痛く辛いものなのか、と言うことを知り、自分のための備忘録として、また、おいらのようなアホをしないよう他山之石としてもらいたくて、そして、骨折からの回復過程を記録することで、同じような怪我をしている方たちともにリハビリを頑張るため、この日記をはじめることにした。

今日は、5月15日。怪我をした4月2日からは一箇月以上経ってしまったが、記憶を辿りながら書いてみようと思う。
その日は、昼から崩れる予報だったが、早朝はバッチリ快晴、気温も低くスキーのための休日だった。メンバーは当会が誇る人間機関車、リーダーの「Oさん」と若くニヒルな「Y君」とちょっとくたびれたおいら。国道471号線の奥、除雪終了点に車を停め左手の斜面に取り付く。シールも気持ちよく効いて快適な登行。まったく、春はこうでなくっちゃ。

先月から「個人情報の保護に関する法律」への対応だのなんだの、仕事が目茶苦茶忙しく、個人的にも忙しく、思うように山に行けてない。ひさしぶりだったので、癒し系で春の白木〜小白木スキーツアーで元気を回復、と思ったが…。

白木峰直下の急斜面はクラストしていてちょっと苦労したが、最後少しだけ担いでクリア、白木峰山頂に到着。遠景は霞んでいるが、良い景色。風が強くて寒いのが難点。白木山頂でシールを外し稜線を小白木目指し出発。地図では細かいアップダウンがうるさそうだが、まずまず滑べりを楽しむことも出来る。何よりも、風がなくなり暖かいのが良い。時々滑べらない雪に出くわし、頭からデングリガエリになりそうになるが、まぁそれも春だから♪なんてルンルンで最低鞍部着。再びシールをつけて小白木目指す。小白木手前の1402ピーク(なだらかで丸く、テニスコート数面取れそうな感じ)でおなかいっぱい(と言うか腹減った)。小白木は登らず、国道へ下る北西綾を少し下って昼食。飯を食ったところから下は、良い尾根のようで滑べるのが楽しみ!!


天候は朝の様な快晴ではないものの、風もなく、気温も高すぎず低過ぎず快適そのもの。腹もふくれたのでさて滑走!!斜度は25度前後、ところにより30度くらいの快適な尾根コース。これは素晴らしい、と吹っ飛ばしたのは良かったが、いきなり足を取られてブレーキがかかったようになる。思いっきり踏ん張ったら身体が宙に浮く感じ、次いで着地、ヤベェ〜危なかった、と思った瞬間右脚脛に鋭い電流が走る。

最初は、足首をやったのか、と思ったがとにかく板を外しズボンをまくって右脛を見て驚いた。向う脛がなんか真直じゃないヨ、デコボコしている。触ってみてコシを抜かしそうになる、なんと、骨が折れてるじゃないですか。これが折れた骨の下向き側の先端(下を向いている)、こっちが上向きの骨の上の先端、とド素人の俺が触っても判る!!おまけに、折れたのが判る向う脛は、皮下出血を起こっているらしくプクーっと膨れてくるではありませんか。これはフツーじゃない、何とかしなければ生命に関わる??あせりましたねぇ、ハッキリ言って「未だ死にたくないよぉ」とマジで思いました。

OさんY君が下りてくるのを待って、オイラ泣きがはいりました。携帯電話は2台、さいわいDocomoが繋がった!!下界の仲間に連絡を取って善後策を協議、ヘリを要請するしかない、ということで110番することにした。

なかなかこちらの状態が相手に伝わらず、明後日の部所に廻されそうになったりして大変だったが、それでもなんとかかんとか、救助してもらえることになり、ホッとする、が、待っているとなかなかこれが来ないんですね。我侭なことを言っても始まらない、悪いのは、自分の技量も省みずアホみたいに吹っ飛ばして怪我をした自分、そんな俺を助けるのに公費でヘリを飛ばし、救助の危険を省みずに警備隊が来てくれるんだ、と言うことは重々承知しているし、ヘリを飛ばすのには危険回避と円滑な救助のためにそれなりの準備がいる、と言うのは頭では理解しているんですが、この痛みは半端ではありません。受傷した直後はあまり痛くなかったのが、時間の経過とともに痛み(疼痛)が激しくなり、とくに折れた位置が少しでも動くと、とんでもない痛み。稜線の向うに「つるぎ」の雄姿を見たときは、しょーじき涙が出そうになった。

さて、ショボショボになって斜面にうずくまっている俺をヘリに収容するのがこれまた大変。うずくまっている地点は、低いけど木立がある。ヘリが近づける無木立の斜面までは、自力では登れない。警備隊の方は、俺の転がっている地点の数十M上の、やや平たい場所にタッチダウンしたヘリから飛び降りて来て下さいました。背負子を持っていて、それに俺を押しこんで、人力三人で斜面を引き摺り上げる。無木立のところまで来たら、ヘリからザイルを降ろし、そいつを背負子に引っかけて、ヘリで斜面上を引き摺るように先程タッチダウンした場所まで引き上げる、そこで一旦背負子をリリース、一回りして来てから再びタッチダウンしているヘリに、三人で背負子の俺を担いで「せぇーの」で放りこむ、という厳しいものでした。それにしても、こんな危険な救出作業をやってのけて下さり、本当にありがとうございます。その技術力の高さと的確な判断には脱帽です。日頃の厳しい訓練と経験の賜物なんでしょう。私は、我が故郷の県をこれ程誇りに思ったことはありません。

それにしても、すべて身から出た錆、とはいえ痛かった。その後数分のフライトで病院の屋上に着陸、ストレッチャーに移し替えられ、救急診療室に辿り着く。ここでの苦行は、「靴脱ぎ」。この世に、これよりも痛いことはない、と思うくらい痛い思いで靴を脱ぐ。幸い、靴は壊さずに抜くことが出来ました。

さて、それからレントゲン撮影。俺が見ても尋常じゃないのはすぐ判る、酷い折れ方。ドクターから取りあえずの治療方針を聞く。「脛骨と腓骨が足首の少し上で粉砕骨折している、手術は絶対必要だ、足の踵の骨に穴を開け針金をとおして牽引、数日後に手術をする、幸い足首は行ってないようだ、後遺症は多分残らないように直せるでしょう、骨折部位以外は何ともないようなので、詳しくは週明け月曜日ね、全治三ヶ月!!」さて、足首に局所麻酔を施し、まるでホームセンターに売っているような電動のドリルで足首に穴を開け、針金を通す。痛いけど、「靴脱ぎ」程ではなかった。針金を通したら、重りをつける金具に接続し、そのまま病棟にベッドごと運ばれて入院、とあいなりました。

会にとんでもない迷惑をかけた、月曜日から会社を休まなければならない、それも長期間、何と言う大迷惑、家族(とくに女房)には、心配をかけるし負担もかけるなぁ、「つるぎ」を出動させてしまうとは、なんということか、という自責の念…。パーティのメンバーは、俺の装備を持って無事下山できたんやろか、と心配になり、電話をしてみるが圏外。ムチャクチャ心配になってくる。

病棟に入院し、夜まで女房に付き添ってもらっているときに、一緒に行ったメンバーがやって来たので、これは本当に安心した。さて、これから長いなぁ…と思いながらも、痛くて眠れない最初の夜は更けていったのでありました。