海の向うでは、ハリケーンの被害が酷いらしい。他所の国ながら心の痛い話し。骨折とも山とも関係ないけど、あまりのことに書かずにはいられないので書いてみることにする。
色々報道される内容を読み聞きしていると、どうやら、準備の不足と自然を舐めた人々の対応と被災に対する初動が遅れにより、今の惨状があるみたい。ハリケーンの規模と偉力に驚いたわけだが、それ以上に驚いたり疑問に思ったことがいっぱい。

まず第一の疑問、防潮堤が決潰したら市街地が水浸しになるとわかっているのに、避難していない人が数万人の規模でいる。この人達を避難させる手だてはなかったのか。どうせスラムの住民なんてそんなもんさ、と無視されたのか、何とかするような信頼関係が行政と住民の間に全くなかったのか。

次いでの疑問、避難所になったドームやコンベンションセンターに備蓄の食料・水・基本的な医薬品等がない? あってもとても十分とは言えない、そういう避難所に自家発電の設備がない、またはあっても稼動させるだけの準備・訓練をやってない、そのための燃料の備蓄がない?元々イザと言うときの避難所は指定されているの・いないの?

さらに、地域の中核となるような病院はどうしちゃったのか、まさか電気が止まったから、水道が止まったから何もできません、なんてアホなことを言っているんだろうか。中核医療機関は、電気水道瓦斯が止まることを想定していないのか。ハリケーン銀座みたいなところなんだから、そういった施設に災害に対する準備をしておくのは、行政の基本的な責任の一つだと思うが、それも機能していないようである。

もう一つ、驚いたと言うかショックだったと言うかやっぱりと言うか、アメリカの民度の低さ。掠奪、レイプ、暴行、リンチ等々、ニューオリンズは阿鼻叫喚の生き地獄となったようだが、こんな災害が起こったときの市民の対応は何とも残念な事である。今、これを書いている現時点では、最悪の状態よりは改善されているみたいだが、それでも酷い。暴力以外でも、センターやドームの内・外はゴミの山。無法者だけじゃなく、普通の被災した市民もゴミをソコタラ中に捨てまくっているようだ。ゴミを捨てる場所や排泄の場所を一定に定め、自分達のみのまわりを整理整頓するだけで、行って帰って来るほど快適に過ごせる、と言うことを彼らは知らないのだろうか。身の回りを片付け、ゴミをカッ散らかさない、と言う教育は受けてないのだろうか。

最後に、一国の指導者とその取り巻き連中の無能ぶりと愛国心のなさには驚くばかり。今回のハリケーンは、何も突然やって来たわけではない。予め、史上稀れにみる強烈なのが来る、とわかっていた。わかっていたのに、迎え撃つための対策・準備を陣頭指揮する、または強力にサポートする、といったことをせずに指揮官は夏休み中。しかも、ハリケーンが上陸し惨状が明らかになり始めて漸く休暇を切り上げると言う為体。よくぞこんな人物やそのスタッフを支持する人が居るモンだと呆れ返ってしまう。いったい何処の誰が「危機に敢然と立ち向かう勇気ある大統領」?

そう言えば、わが富山市長も規模こそ違うが、その対応はナカナカに“素晴ら”しかったし、今も“素晴ら”しい。去年の台風23号の直撃とその台風が連れてきた大雨に我が富山市がやられる、とわかっていたその日、市長は自宅に帰ってしまっていた。対応を陣頭指揮し、被害を最小限にくい止め、住民の安全と生命を護る、という責任を全く果たしていなかった。

去年は、自分の町内も避難勧告が出たらしいが、宣伝車がカンカンと鐘を鳴らして走っていただけ。私は、避難勧告が出されたことも知らなかった。勧告や指示の伝達ってそんなんで良いの?避難勧告が伝わるのが遅く、それで逃げ遅れた人が居て、死者こそでなかったが大変だった。ところが、避難勧告や指示の有効な伝達系統を平時に確認しておく、と言う基本中の基本は未だ去年のままである。費用をかけた「避難訓練」もどきは、盛大に実施されてはいるが、ありゃやってもやらなくても殆んど意味はない、地元のレスキューはなかなかに優秀だと言う宣伝にしかなっていない。それで、「訓練してます」という自己満足を得るのには良いのかも知れない。県知事は消防庁出身らしいが、何処の消防で頑張っていたんですかね。

とまぁ、ハリケーンの報道に接するに、行政と言うのは物事が良く判っていないのは洋の東西を問わないらしいと実感した。我が富山の場合は、山岳救助の世界だけはホントに素晴らしい(真実の意味で)のだけど、この素晴らしさをもっと災害対策全般に拡げて欲しいものである。