酒についての私的な考察

何だかえらそうな表題掲げちゃいましたけど、まぁ考えさせられる事件が起こったわけで、良い機会なので、自分なりに普段思っていることをまとめてみようと思います。

まず、俺も飲兵衛なわけで、酒に関してはあまりえらそうなことは言えません。酔っ払って女房に迷惑かけたことも何度かありますし。でも仕事中に飲むとか、朝から飲むとか、仕事関係や公的なパーティで酔いつぶれるまで飲んでしまうとか、飲み始めたら潰れるまで飲まなきゃいられないとか、そんな経験はありません。今は、晩酌や寝酒の習慣を止めていて、飲むのは月に数回缶ビール一缶程度ですが、まぁそれでも問題はないです。要は「アルコール依存症じゃななかった」ってことですかね。人生の中では「紙一重」って時期もあったと思うのですが、まずは良かった良かった。

さて、例のへべれけ会見でアルコールの恐ろしさを改めて世界に知らしめた中川(酒)さん。アルコール(酒)って合法的に摂取できる上、非合法の麻薬の類を含め、人間が知っている薬物の中でも最上級に強烈な作用と強い依存性(肉体的・精神的双方で)があるってことを改めて認識させてくれたと思います。これが「禁止薬物」になってないのは、人類との間に5000年を越える付き合い(一万年かも?)があるからに他ならないからだ、と思うのです。アヘンやコカインが駄目ならアルコールも同様だろう、と俺なんかは思っちゃうこともあるんですけど。事実、その信ずる宗教によっては飲酒はダメってのも結構ありますし、一般信者は良くてもその聖職者はダメってのもやはりたくさんあります。(無戒の浄土真宗万歳ってか?門徒で良かったとしみじみ思う今日この頃)とにかく、アルコールの作用は強烈ですね。

中川(酒)氏が、「350mlのビール一缶飲んだら、数時間は運転ダメ、酒の5合も飲めば8時間寝ても車で会社行ったらヤバい、鎮痛剤や風邪薬に限らずおよそ薬(飲み薬に限らない)なんてものは、酒と一緒に飲んだらイカン」等と言う常識(知らなかった訳じゃないと思う)を守っていれば、あんな大失態はやらかさなかったと思うのです。ところがアルコールの依存性に侵された脳ミソは、そんな常識を頑として認めようとしなくなっちゃうものらしい。この辺りはタバコも同様らしく、やはり喫煙者(ほとんどすべての喫煙者はニコチン依存症)の中には、タバコの害を頑として認めようとしない人が大勢いらっしゃいます。まぁタバコの場合は「悪い」と解っていて喫っている人も大勢いらっしゃいますけど。

これは俺の印象なんだけど、多分中川(酒)氏はアルコール依存症なんでしょう。一度診察を受けたほうが良いと思う。彼の振りを見て、アルコール依存症の恐ろしさを多くの人がきちんと認識してくれるなら、それはそれで良かったと言えるのかもしれません。日本の危機管理として、閣僚になる人はきちんと健康診断を受け、問題ないと判明してからなってほしいと思います。アルコール依存症は閣僚不適格でしょうね。ニコチン依存症は、望ましくないけどまぁ良いかな、ってところか。

酒ってのは、飲む量を日に一合か二合にとどめておいて、週のうち二日は飲まない日を設け、痛飲して酔いつぶれるのは年に一回かせいぜい二回、って飲み方をしてたら、精神的な依存はともかく、肉体的な依存には陥らないと思うのです。あと、昼間っから飲まない、ってのも重要ですね。山ヤとしては、頂上での一杯は絶対やめとかなきゃいかん、悪しき風習でしょう。基本山行中は飲まない、まぁ泊りの山なら、一日の行動が終わった後で“たしなむ”程度に飲むのは良いかな。

なんかまとまらない、書きなぐりになっちゃったけど、酒は節度を持って楽しみたいですね。生涯禁酒なんてあまりに寂しい。アヘンやコカイン、ましてやマリファナがダメで酒は良いってのは、単に歴史の偶然に過ぎないのです。アルコールの作用は一日の仕事が終わってから楽しむもの、ってことをしっかり認識しておきたいもんです。